異界者のためのweb講座 神庭記ってなに?編その4~神庭記 第三譚・昼譲時代~

今話題の神庭記とは? わかりやすく解説!

異界の皆さん、こんにちは。文字の泉新聞・文字の泉ニュースの神報担当、ウ・オーです。

最近話題の歴史書「神庭記」について、わかりやすく解説してみます。

今回は神庭記の第三譚「昼譲時代」について説明します。

第三譚は最も長く、内容の解読が煩雑

神庭記は4つの譚で構成されています。①神庭神話、②昼夜戦争、③昼譲時代、④人神戦争という分け方が一般的でしょう。

第三譚は太光神が世界を治めていた神庭暦100年ごろから1980年代前半までの記録です。神々の治世を毎日記録してあり、神庭記の中で最も長い譚となります。

逐日記録のため内容が多岐にわたり、解読作業は煩雑です。そのため、昼譲の譚は独立した書籍として読まれることが多く、神庭記として出版される書籍においてはごく短い要約が掲載されます。

省略される部分が多いとはいえ、昼譲時代が空虚な時代というわけではありません。

第三譚・昼譲時代の内容

第二譚で昼夜戦争を終結に導いた太光神は、知恵の王と昼神からそれぞれに地位を譲られました。この手続きを昼譲といいます。

太光神は人の王かつ神々の王として、世界を統べる権限を持ち、人々を導く大役を担いました。太光神は玉座につく際に「世界は全て神の庭である」と述べ、神庭王と呼ばれるようになりました。

太光神の治世①神庭政治

太光神は1800年以上、単独で王位につき神庭世界の統治を続けました。これは単独の王として最も長い治世と言われています。この時期の政治体制は神庭政治と呼ばれます。

神庭政治は次のような特徴を持ちます。

  1. 神々が人を治め、太光神は神々を統括する
  2. 科学・魔法共に神々が知識を授け、自由な文字泉開発を禁止
  3. 世界と無理なく共存する程度に文明を成長させる
  4. 神々の加護による労働負荷の軽減
  5. 祭司の官僚化
  6. 公益研究の促進

神庭政治は神々が文明の成長発展をコントロールすることにより、長期に安定した世界情勢を維持することを目指した政治体制でした。この時代を過ごした人々は神庭政治について「可もなく不可もなくの、長き昼の時代」と評しています。

太光神の治世②神庭王の人となり

神庭記には神庭王(太光神)のエピソードが数多く記録されています(筆者が母親の賢トコリナなので当たり前とも言えますが…)。神庭記の記録によると、神庭王時代の太光神は次のような人柄だったそうです。

  • 明るく楽観的で、細かいことは気にしない性格
  • 対立を嫌い、神々や祭司たちの議論に交じることは好まなかった
  • 先に明朗な結論を求め、説明は後から聞く
  • 半神半人の影響か、愛情深く、時に嫉妬深い
  • 一人の妻を長く愛する性質であり、1900年近くの治世の中で妻の数は20人に満たない
  • 恋愛体質。妻がいない期間は非常に短い
  • 妻帯は常にしていたが、子どもは一切もたなかった
  • マザコン気質で妻を怒らせることもあった
  • 人々に与えることを好み、貧困者や病者への支援を惜しまない
  • 盗人の子孫である魔法使いを好まず、魔法使いを冷遇した
  • 解呪を担当する呪い師を魔法使いとは区別し、優遇した
  • 呪いを恐れ、夏祭りを勧奨した
  • 科学者の過剰な好奇心を諫め、公益研究を好んだ

神庭王は人と神の子ということで、他の神々よりも人間味がある性格でした。彼の人柄を反映した政策は現在の神庭島の政治方針ともよく似ています。神庭王は政治面においては昼神の影響を強く受けていたのかもしれません。

次回は第四譚・人神戦争について解説!

いかがでしょうか。神庭記の第三譚の内容を説明しました。

昼譲時代は太光神が神庭王として世界を治めていた、世界で最も長く続いた治世です。神庭政治は世界と人々の共存を図り、神々のコントロール下で徐々に文明が成長していきました。神庭王は神々としては異例の人間味を持ち合わせており、様々な逸話が記録されています。

次回は神庭記の第四譚、人神戦争について解説します。