異界者のためのweb講座 その3 神庭時代解説編
神庭時代の主な出来事
異界者のためのweb講座、今回からは時代ごとに解説していきます。まずは神庭暦0年から2000年までの神庭時代について、起こった出来事を見ていきましょう!
昼神降臨とはじまりの3人
神庭時代については、「神庭記」の記録を参考にまとめていきます。
始祖神の降臨
神庭記によると、神庭暦が開始する直前に始祖神が神庭島に降臨しました。当時の始祖神には名前が無く、神庭島には現在の昼神神殿だけが存在していました。
昼神神殿が誰によって作られたのかははっきりと分かっていません。始祖神が建設した事実を忘れてしまった説(建忘説)と、古代人が作った遺跡だった説(古代人説)があります。
ともあれ、始祖神は昼神神殿に住むことにしました。夜神(現在の暗黒神)と出会い、昼神を名乗り始めました。
はじまりの3人
そして何年かの後、人間たちが神殿にたどり着きました。この時の人間たちを「はじまりの3人」と言います。
はじまりの3人は、知恵を与える泉の伝説をたよりに神殿を探していました。彼らが捜していた泉とは、昼神神殿にかつて存在した文字泉だと考えられます。始祖神は人間たちに泉から知恵を汲むことを許し、神殿に彼らを住まわせました。
はじまりの3人は神殿の泉から、言葉、政治、宗教、暦を知ったと言われています。神庭暦が始まったのもこの頃からです。
神々の誕生と国の起こり
はじまりの3人が持ち帰った知識により、人間たちの文化は飛躍的に発展しました。
その頃の人間たちは、数組の家族が寄り集まって暮らしていたといわれています。3人は集団をさらに大きくし、原始的な国「知恵の国」を作ることに成功しました。
はじまりの3人のその後
はじまりの3人は「知恵の国」創設後、それぞれに異なった道を歩みました。
一人は知恵の国の王となり、人間を統べることに人生を捧げました。彼の血脈は現在の神庭島・太光神国に続いているそうです。
一人は昼神神殿に戻り、始祖神に使える祭司となりました。彼女は昼神教を立ち上げ、世界初の宗教を作りました。現在の自然神教の教義はすべて、彼女の教えを基に構築されたものです。
最後の一人は途中まで知恵の国の国王の相談役を務めていましたが、何らかの理由で下野。夜神の眷属となり、人類初の魔法使いになりました。
二度の戦争と昼神の死
人類初の国家「知恵の国」が成立してしばらくは、知恵の国の歴史=人類の歴史として進んでいきました。細かい出来事の解説は正直面倒なので、割愛しますね。
人類史上重要なことは3つほどありました。
神々の誕生
自然神教の神々は、半分は神庭前から存在していました。しかし、もう半分は知恵の国が成立した後に誕生しました。人間が作った神々です。
神庭記に誕生までの詳細が記録されているのは、火神です。火神ははじめて人類に作りだされた神でした。知恵の国の王は、人間のために存在する神を作ろうとしました。魔法使いに依頼したところ、彼は燃え盛る日の中に手を入れて火神を引き出したそうです(熱そう…)。
火神、雷神、風神が人間に作られた神々です。比較的若い神々として知られていますね。
昼夜戦争と人神戦争
神庭時代には大きな戦争が2つ勃発しました。
一つは昼夜戦争。知恵の国と魔法の国(今の暗黒神国)が争い、神々が加勢して大戦に発展しました。神々が昼神陣営と夜神陣営に分かれたので昼夜戦争と言われています。ほとんどの神々が昼神陣営に回ったため、魔法の国は敗れました。
もう一つは人神戦争。昼夜戦争の後に起こりました。昼夜戦争を受けて、知恵の国は太光神が直接支配する国へと変貌していったと言われています。それに不満を覚えた人々が神々に反旗を翻し、人間対神々の戦争へと発展しました。
人神戦争は始祖神の死と共に終結。神々が住む土地(神領)と、人々が住む土地(人領地)を分けることになりました。人間は自治権を得ましたが、同時に魔封の罰(始祖神を殺したので)を受けることになりました。
神庭時代 その後をざっくり解説
神庭時代の出来事を開設しました。神庭時代は世界の黎明期ですが、全期間にわたって記録が残されています。
その後は2000年くらいよくわからない時代が続きますが、大切な出来事は2つほどありました。
魔封
人神戦争の結果、人々は魔封期間という魔法がほとんど使えない時代を過ごすことになりました。
魔法が完全に使えないというわけではありませんでしたが、魔法を当たり前に使っていた人間にとっては苦難の時代でした。(突然魔法が使えなくなったら…考えるだけでもたいへんですよね)
巡礼祭の始まりと魔封明け
魔封を解除するために始まったのが巡礼祭です。人々が神々への尊敬を取り戻したことを示す祭りは100年の間続けられ、4000年の巡礼祭で始祖神が復活。魔封明けが実現しました。